私は小学生の頃よりモノ作りに興味を持ち、小学6年生の時に父に買ってもらったウクレレを基に見よう見まねでウクレレ作りを試みる。

しかし、当時は現在のようにインフラが充実していないため、ウクレレの情報が簡単には集まらずに上手くできませんでしたが、いつかは絶対に作るとの思いで事あるごとに情報収集を行う。

中学生時代に海水浴に行った鵠沼海岸で衝撃のスポーツを見て感動する。波打ち際を全速力で走り、丸い板に飛び乗り波に乗る”スキムボード”を初めて見て興味を持ち直ぐに合板材からスキムボードを作り、毎週末に鵠沼通いが始まりスピンやカットバックも出来るまでに上達する。

やがて現在のレジェンドサーファー達との繋がりもできてサーフボードのブランクスを頂き、サーフボードのシェイプをスタートする。自分の部屋をシェイプルームにして、サーフボード、ハンドプレーン、ウインドサーフィンのシェイプボードと作ってきました。

某有名サーフショップからもシェイパーとして受け入れ要請を頂きましたが、本業の仕事と趣味は別物と捉えて、それぞれの分野でスキルアップしたいという考えがあったための判断でした。

大学卒業後の就職は海外と関係のある仕事に就きたいという事で、輸出入に関連する通関業者に就職し、就職した年に国家資格の通関士を取得後から税関での通関手続き、現在注目されている物流の立ち上げ、国際複合一貫輸送ルートの開拓等を中心に勤務。

1987年アフリカの中央に位置するニジェール共和国への『ウラン鉱床開発プロジェクト』の情報を得て複合一貫輸送業務の入札を落札し、現地へ赴き書類作成から現地据付業務までを担当する。

帰国後、現在の仕事の内容での海外感に満足できず、1988年には輸入商社へ転職し、輸入部門を経て、商品開発部門で洋酒の責任者として各国から新商品を輸入し、販売実績を大幅に伸ばす。

順調満帆だったはずが、2002年に中国で発生したSARSの影響で輸入商社にとって異常なほどな逆風に飲み込まれ、会社にとって大きな岐路と捉えて希望退職制度の導入となり、2003年同制度を利用して退職する。

退職1ヶ月後には大手総合商社へ就職し、貿易部門のコストセーブと強化を構築し、後に国際物流部門の責任者として中国、アジア全般との輸送ルート開発と現地法人の物流強化に取り組んできました。

会社でやるべき事は全て完了したと判断したこと、また、2012年のアマチュアウクレレビルダーコンテストで7位入賞したことを受け2013年に早期退職をし、自分の第2章として今まで培ってき様々な情報と技術で『wavers design』を設立し、新しいビジネスの展開をスタートしました。

取扱商品はアクセサリー、楽器、サーフグッズ、キッチン用品等で、イベントとウェブショップでの販売を行っていましたが、イベントについてはコロナの影響でほぼ中止になりお客様と顔を合わせての販売ができなくなり、コロナ禍が明けてからはイベント主催者がこの間のロスを取り戻そうと出店料の高騰が顕著になり、併せて以前の様な賑わいもなくなっているのが現状です。

そこで、今から十数年前に構築したウェブショップでの販売に焦点を絞り当サイトの再構築を微力ながらも進めておりますが、ウェブページ作成の方法も大幅に変わり非常に苦戦しています。今回はバックアップ機能がうまく働かずにデータベースのデータが全て消失してしまい、一からの立ち上げと新しいアプリケーションの導入費用が大幅に発生してしまい想定外の事態となっていますが、一日も早く皆様に拘りの商品をお届けできる体制を構築してまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

令和6年3月8日

渡辺 崇
wavers design